「女」が「男」の身体の一部から造られたことが示されている?

「女」が「男」の身体の一部から造られたことが示されている?

「女」が「男」の身体の一部から造られたことが示されている?

創造神話の中で、神は「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」と言い、女というものを創造しようと考えます。神話の中で、その部分は次のように説明されています。

「神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた」(創世記2:22)

つまり、女は男の身体の一部分(あばら骨の1本)から造られた、ということです。そのとき、人はその女を見て、こう言うのです。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」

どうでしょう? 日本語では、少々意味不明だとは思いませんか?「男から取ったものだから」といって、どうして、それが「女」と名付けられなくてはならないのでしょうか?

実は、この「男から取ったものだから、これを女と名づけよう」という部分も、原語であるヘブライ語で考えるとき、もっとよく理解できるのです。

というのは、ヘブライ語で「男」は「イーシュ」、「女」は「イッシャー」というのですが、その「男」の意味の「イーシュ」という単語の中には、まさに「1本のあばら骨」のようにも見える文字(ヴァヴ)があることから、これが「男のあばら骨を1本だけ取って女を造った話」にちょうど対応しているようにも思えて、そこが面白いというわけです。

それで、このヘブライ語の単語の形を知っていると、「男から取ったものだから」といっている意味が、初めてピンとくるのです。それに、この「女」という意味の単語「イッシャー」は、「イーシュ」(男)という単語を基にして成り立っています。

つまり、「イーシュ」の女性形が、「イッシャー」なので、言葉の上からも、「女」は「男」の一部から造られた、と言えるわけです。

これもまた、「女」が「男」の身体の一部から造られたことを示しているようで、面白いではありませんか。ともかく、こうして「アダムとイヴ」の、あのイヴもまた、アダムの妻として、誕生するわけです。

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